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卒業論文のテーマを決定づける出来事がたまたま訪れた。

 

広島の街を歩いているとき、ふと、頭の中に突然、卒論のテーマが頭に入ってきた。なにかアイデアが浮かぶ時はたまたま何かをしていた時に浮かぶことが多い。それは私が常に玉を2つ持っているから、なのかどうかは知る由もない。

 

広島とくれば原子爆弾、おそらく、日本中の殆どの人たちが思い浮かぶ事であろう。

 

卒業論文のテーマ設定では、今まで誰も研究していない事柄が好ましい。この点で行くと広島の原子爆弾はあまりにもメジャーで卒業論文のテーマとしては相応しくない。

 

私が広島の町を歩いてふと思ったことは、街並みがある町に似ていることであった。実際に歩いてみて思った広島の町の特徴は太くて大きな、碁盤の目の様になった道路と大きな商店街であった。大きな道路を碁盤の目のように張り巡らせるためには、計画的な都市計画が必要である。

 

広島に似ている街並みは香川県の高松である。高松の町も碁盤の目のように張り巡らされた大きな道路と日本一大きな商店街が特徴である。

 

広島と高松が似ているのは、たまたまなのか、それは、偶然でなく必然であることを私は気付いてしまった。

 

広島は原子爆弾の投下によって町が焼け野原となり、戦後復興を果たした。高松市も高松空襲によって焼け野原となり、戦後復興を果たした町という共通点が存在していた。

 

香川県民ですら広島の原爆は知っていても高松空襲の事は知らない人が多いようだ。

 

どの地域も同じだと思うが、日本の現在のカリキュラムでは地方史、すなわち、高松空襲の様な、地方の空襲を取り上げる授業は基本的にはない。という事は、東京大空襲や広島や長崎の原爆の事は知っていても、自分が住む地域の空襲の事は知らない人が多くいるという事である。実に嘆かわしい事だと思う。

 

 

私自身が高松空襲の事を知った理由は私の恩師からの話がきっかけである。その話の内容は、高松に住んでいた恩師の親が高松空襲の日に、たまたま用事があって、別の所に行っていたので命が助かり、もし、親が高松にその日居たら、自分自身はこの世に生まれてくることはなかったであろうと言う話をたまたま覚えていた事である。何故かその話は私の記憶に鮮明に残った。

 

私の卒業論文のテーマは高松空襲に決定した。この高松空襲との出会いが、今後の私の人生を大きく変えていくことになろうとはこの時、知る由もなかった。