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調理師修行時代は苦難に満ちた日々は私に大きな影響を与えた。この経験があったからこそ、以後の苦労なんてたいした事ないと感じることができた。


若いころの苦労は買ってでもしたほうが良いと聞いたことがあるが、苦労なんてしないほうが良い人生に決まっている。私はそうとう、ひねくれた性格をしているがこのひねくれた性格はおそらく、調理師修行時代に形成されたものだと予想される。ひねくれた性格なんてろくなことがない。そのおかげでどれだけ人生失敗してきたことか。


特に厳しかった大阪での修行時代大阪という大都市で、いつも思っていた事は自分は


「自分は歯車の一部」


という感覚であった。大阪みなみの歓楽街、そこでは大勢の人達が働いている。歓楽街みなみはたくさんの人達によって日夜動かされていて、自分はその歯車を動かす1人にすぎない。スペアーはたくさんあり、ぼろぼろになったらいつでも捨てられる存在である。個性などは必要ない。そこで求められるのは歯車のように文句を言わずに働くことであった。


高校公民の現代社会の教科書の中にチャプリンの風刺画があった。チャプリンは自分自身が歯車の一部になって、大衆社会を風刺していた。まさにそのチャプリンの風刺画のような状況が自分自身の状況を表していた。


当時、いつも死ぬことばかり考えていたように思う。今考えたらさっさと辞めて、自分の好きなことをすればいいと思うが、当時はそうはいかなかった。今でも未熟な自分だが当時は、今以上にかなりの未熟な青年であった。


負のスパイラルで自分を追い詰めていたように思う。


自分自身を追い詰めていた理由は高校受験、大学受験の失敗、安易な調理師専門への進学、俳優業のあきらめなど理由は様々であった。いやなことがあったらすぐ逃げて、失敗や挫折ばかりの自分の人生、もうこれ以上、失敗はしたくない、挫折はしたくない、負けたくない、逃げたくない、ここで逃げると、自分自身に負けた事になる。強くならなくてはいけない。



専門学校のお金を出してもらった親にも申し訳ないので、いやでも我慢を続け、逃げたくても逃げることができなかった。


「逃げ道があるのなら逃げたらいい」


おいこまれて命を絶つよりかはよっぽどましである。

 

日本では年間の自殺者の数が3万人を超えている。この数字は内戦が激しい国よりもはるかに多い死者数である。


日本の社会では伝統的に、逃げるな、一度務めた会社は辞めるな、我慢、などが美徳とされる文化があるように思える。


非常に良い文化だが時として、人を追い込む要因になると思われる。自分は提言したい。多少の我慢は必要だが、時には逃げることも大切で大事な事で、逃げることは勇気ある行為だと思う。